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[KTM SUPERDUKE][HONDA S2000]を中心にお届け
2025/04/21  [PR]
 

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我らの季節到来って感じです。
長かった・・・今年の夏は。。

ナンバープレートの先っちょにビヨーンと
伸びてる反射プレートをカッチョ悪いので取りました。
以外と面倒だったがスッキリ。


メカメカしい装い。萌えます。


ということで、明日も早起きしちゃいます。
この天気ですから。


そして、これからこれを組み立てます。
あれ?重っ。
ふいをつかれた感じの重さです。
この重みで楽しみが倍増しました。
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Double Win For KTM Superbike Riders Nebel And Bauer


WSBKからDucatiが撤退。
ということは、
ツインでワークス活動しているのは、、、
IDMのKTMだけ?
 S2000  cm:0  tb:

待ってましたよ

久々の箱根。
行きはよいよい、帰りは・・・
朝は鼻歌交じりだったんですが、
帰路は、渋滞+足下熱波+ツナギで、
そりゃもう、辛いの一言。
只今ツナギ陰干し中。

それにしても、
相変わらず、最高のハンドリングマシンですね。

フロントブレーキちょっと残しながら、
フロント荷重を意識してコーナーに進入し、
赴くままにクルリと旋回、
リバウンドを締め上げたサスペンションのおかげで、
パワーワンは、ビタっとアスファルトに吸い付いて
頭に描いたラインをトレースしていく。
立ち上がりでは、
後輪荷重を意識しながら右手をひねれば怒濤の加速。
しかし、登りでは、
フロントの接地感が希薄になるので注意が必要だ。
特に2速全開の切り返しでは、
ステアリングダンパーの恩恵にあやかりたい時もあるが、
“水を得た魚”が弱ってしまう懸念もあるため、
あえて装着は控えたい。
“ウ、ちょっとリヤ締め過ぎたかな。
一服しながら1クリック緩めてみよう___”
おおオレの相棒よ。
今日も日頃のイヤなこと忘れさせてくれてありがとう。

と、読み物風な本日の日記。
それにしても、山に行って、
なぜSUPERDUKEに遭遇しないのか不思議。
というかKTMに遭遇しない。

乗る気が起きる気温になってまいりました!

タイヤの内圧も推奨ピッタンコ、
各部増し締め完了ちゃんで、
明日は久々朝練に出動します。



さてとこれからアラゴン予選+Beer~

今回はデアンジェリスとレディングを応援。
さぞかし辛い2週間だったろう・・・
100%集中するのは難しいだろうが、静かにエールを送りたい。
 MotoGP  cm:0  tb:

富沢祥也 RIPOSA IN PACE(やすらかに眠れ)
2010年 9月 6日 · No Comments 0 users
先日、イタリアのミザノ・サーキットで行われたロードレース世界選手権モト2クラスで、日本人ライダー富沢祥也選手がお亡くなりになりました。
伊紙サイト版の方では、すぐに全主要紙ともに第1面に訃報が報じられておりました。その中の1紙より翻訳してお伝えします。

ミザノ 『ミザノGPで富沢選手事故死、レース続行に論議』



ミスで転倒、そして、悲劇。
日本人ライダーの富沢祥也選手(19才)がサンマリノ開催のロードレース世界選手権モト2クラスのレース中、激しい事故による重度裂傷で死亡した。

後続車が激突
富沢選手はコース12周目を時速200km以上で走行中、マシンのコントロールを失い、車輪が縁石に乗り上げ転倒。
後続のアレックス・デ・アンジェリス選手(サンマリノ出身)およびスコット・レデイング(イギリス出身)両名が富沢選手を避ける間もなく激突し、バイクこと飛ばされ転倒した。レデイング選手には特に裂傷等もなく、デ・アンジェリス選手の方はかすり傷ひとつなかった。
富沢選手は今年度より始まったモト2クラスにて、開幕レースのカタール戦で優勝している(上記写真)。

事故後の措置、問題視
コース上に横たわる富沢選手のもとへ救急班が駆けつけたものの、レース自体は中断されることなく、トニ・エリアス選手(スペイン出身)によりゴールが切られた。
富沢選手がコースから搬送される際も、レッドフラッグによりレースが中断されることはなかったのである。また、慌ただしく搬送される中、砂利に足を取られた救急隊員が、一瞬、担架を落としてしまう一幕もあった。
救急車内では医師らによる蘇生措置が行われたが頭蓋骨および胸部、服簿の外傷がひどく、午後1時40分頃、救急車によりリッチョーネ市内の病院へと搬送され、午後2時19分に死亡が確認された。

医師コメント「ひどい裂傷」
多くの観客が不安を抱きながらモトGPクラスの観戦を続ける中、富沢選手の訃報が届いた。
モバイルクリニックの責任者クラウディオ・コスタ医師が明らかに動揺した様子で、
「医療センターでも救急車内でも病院でも最良の処置がなされたが、富沢は14時19分に逝ってしまった。」と伝えた。また、もし、レッドフラッグが振られレースが中断されたならば、救命処置は容易になったのではないかを論じるべきではないかと話している。
ヴァレンティーノ・ロッシ選手からも、
「レッドフラッグは必要だっただろう。モト2は参加選手が多過ぎるのではないだろうか。」とのコメントが出された。

一方、ミザノサーキットの医療責任者であるクラウディオ・マッキアゴデーナ医師は、次のように話している。
「たとえレッドフラッグが振られても、医師としての見地からすれば、なにも変わらなかったでしょう。むしろ、搬送措置に遅れが生じたと思われますが。蘇生措置は救急車内で開始されてます。医師として、これらの措置になんら遅延はなかったと言えます。繰り返しますが、レッドフラッグが振られていたなら措置に遅れが生じていたでしょう。」
また、先週8月29日には13才の少年ライダー、ピーター・レンツ君がインディアナポリスで、レース中の事故が原因で亡くなっているため、今後、パドック関係者は考慮していかなければならない。
富沢選手の訃報は、バイクファンらの記憶にもう1人の日本人ライダーを呼び覚ました。2003年、レース中の事故で亡くなった加藤大治郎選手だ。
そして、『9月5日』と言う日付がミザノサーキットにとって、また悲劇の代名詞となってしまった。
1993年の同日、アメリカ人ライダーのウェイン・レイニー選手がレース中に転倒、下半身不随となっているのだ。

富沢祥也選手とは
1990年12月10日、千葉県で出生。幼少時よりバイクを始め、2006年全日本ロードレース選手権の125ccクラスにデビュー、総合2位となる。
2007年、世界選手権125ccクラスの1レースでスポット参戦し2ポイント獲得、総合26位。
2008年には全日本ロードレース選手権250ccクラスで総合2位、また、世界選手権にもスポット参戦。
2009年、世界選手権250ccクラスでCIPチームより参戦、32ポイント獲得の総合17位、日本GPおよびバレンシアGPではベストリザルト10位を記録する。しかし同年のインディアナポリスGPは怪我のため欠場を余儀なくされた。
2010年、新設されたモト2クラスでTechnomag – CIPチームよりチームメイトのドミニク・エジャーター選手(スイス出身)と共にスッターに乗り参戦。開幕戦であるカタール戦にて優勝し、その名を広めた。スペイン戦では予選PP、本戦では第2位となり、チェコのブルノ戦でも予選PPを獲得していた。
サンマリノ戦にてフルスピードで転倒、後続していたスコット・レデイング選手およびアレックス・デ・アンジェリス選手に激突される。その後、富沢選手はリッチョーネ市内の病院にて死去。

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:La Stampa 2010年9月5日)

富沢祥也選手に心よりご冥福をお祈りいたします。

このパンケーキの角度は、
FMXが流行るだいぶ前の
リッキー・カー・マイケルを思い出す。
それにしても、かっこいいなぁ、James Stewart。


これが自宅の裏庭ってのも、ディスイズアメリカ!


一瞬、思考停止する、
オートバイをレタッチして消去した画像。




年末のミラノショーでデビュー予定。らしい。

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